みな何かを礼拝している

今日読むローマ人への手紙の聖句は、とても興味深い箇所です。では細かく見ていきましょう。NLT訳の聖書では、They traded(代わりに)となっています。これは、以前は神を礼拝していたのに、他のものを礼拝するようになったと意味しています。このtraded(代わりに)という言葉の、興味深いもう一つの意味は、両方を同時に礼拝することができなかったということです。どちらかを選ぶなら、どちらかを諦める必要がありました。

つまり、こうです。私たちは、神を礼拝するか、それとも他のものを拝むか、二つに一つなのです。両方を同時に拝むことはできません。私たちは片方を、もう片方と取り替えなければならないのです。なぜなら、礼拝とは私たちが生まれつき持っている、最も価値を感じることに対する応答だからです!拝むことよりもっと強い、あるいは同じくらい強い反応は、他にはありません。私たちが長い時間を使って考え、行っていること、また関心の大部分を占めているもの、全力を尽くしていること。それこそが、私たちの礼拝なのです。

ですから、この質問を自分に問いかけてみましょう。あなたは何を礼拝していますか。神様より優先していることは何でしょう。

あなたが礼拝しているものをはっきさせましょう。それをあるべきところに戻して、今度は神様を、人生において本来おられるべき場所に位置づけましょう。一番かつ唯一の、礼拝されるべき、また礼拝する価値がある御方がおられるべき場所に。

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